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一年の締めくくりに・・・

毎年12月になると思い出す言葉があります。

大学2年のときだったと思うのですが、

ゼミの友人が

「小林秀雄は毎年12月になると『罪と罰』を読み直しているそうだ」

と私に言ったのです。

 

秀雄は明治35年生まれの評論家です。

当時の文学部の学生で、秀雄のことを知らない者はいなかったと思います。

しかし、秀雄に対する評価はそれぞれで、

「秀雄は法螺吹きらしい」

と誰かに言われたことが頭にあったので私は信じなかった。

 

だが、その話を私に伝えた友人は今でも12月になると読み直しているようです。

最近は毎年でもなさそうだが、

数年前の年賀状でも

「今年は亀山郁夫の訳で読んだ」

と書いていました。

 

本当ですか。

 

本当なら

「本当に偉いな」

と思うとともに彼の拘りは何なのかと考えてしまいます。

原点回帰であるならば彼の執念に敬服する。

その年は、私も読み返してしまった。

 

 

読書は読み方次第で価値が変わります。

一冊の小説も視点を変えて読み直すことで価値が変わることもあります。

読書だけではなく

音楽でも

映画でも

絵画でも

視点の転換による価値の変化は期待できるものと考えます。

 

小説が映画化されるときは監督の切り口がものを言います。

監督の視点が取り上げられた小説の解釈につながる訳ですから、

こちらも期待してしまいます。

 

夏目漱石の『こゝろ』が新藤兼人によって映画化されたとき

「お嬢さん」の母親役は乙羽信子が演じていました。

 

その乙羽信子が演ずる母親の目から

主人公の「先生」の心が見られている映画でした。

監督の目と役者の目が

一体となって漱石に挑戦していくような

迫力のある作品でした。

『こゝろ』という作品の価値が

全く違ったものになっていた記憶があります。

 

漱石の『こゝろ』は読まれた方も多いと思います。

学校の教科書で読んだという方もいらっしゃるでしょう。

内容については触れませんが、

この作品も評価が別れる小説です。

しかし、教科書に載るほどの作品ですから価値は高いでしょう。

漱石が追究した「利己心」が教材研究の対象であったり、

「K」の存在が主題とどのように繋がっているかなどが取り沙汰されることも良くあります。

 

 

さて、今年は何を読んで読み収めとしようか。

考え中です。 

(執筆者:教務部W)