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「幻想」を聴くころ

わたしの大学の恩師は平島正郎先生といって

ドビュシーやフォーレをはじめとするフランス音楽の研究家でした。

現在

マエストロ(巨匠指揮者)として高名な

小澤征爾さんを教えていたこともある方です。

(従って小澤さんはわたしの兄弟子であり

平島先生のお宅で何度かお見かけしたこともあります)

 

学生時代のわたしは

むろんそんなことは全然知らなくて

1年生の夏から図々しく毎年

先生の信濃追分の山荘にお邪魔していました。

山荘のそばのせせらぎでクレッソンを摘んできては朝の食卓に並べたり

覚えたてのミートソースをランチにふるまうと言いながら

夕方になってもできずに往生したり

もうやりたい放題でした。

 

そんなわたしたちの夏の習慣と言えば

毎夕山荘の居間で聴く「幻想交響曲」でした。

シャルル・ミュンシュ指揮パリ管弦楽団の演奏するレコードを

プレイヤーのターンテーブルにのせて針をおろす…

すると

フルート、クラリネットの三連符にオーボエが加わり

わたしたちのフェスタ(祝祭)が幕を開けます。

 

この「幻想交響曲」

1830年、27歳の医学生エクトル・ベルリオーズという人が創ったのですが

実はベルリオーズはピアノが弾けず

楽器といえばお父さんが買ってくれた横笛くらい。

そんな彼がグルックという作曲家のオペラにいたく感動し

楽譜のスコアを独学で勉強して書き上げたといわれています。

音楽に物語を導入して

のちの交響詩の原型を作りました。

かのワグナーもヴェルディもシューマンも

ベルリオーズの影響なしには生まれませんでした。

 

レコードが終わると

音楽、絵画、演劇、はては落語にまで話題が及び

先生のご家族を交えた「幻想」談義が始まります。

中でも音楽は作曲家の意図するところを再現するという立場から

もっとも他のジャンル以上に制約を受ける表現形式です。

わたしは、この大先生を前に

「『幻想』はだれがやっても『幻想』であり

カラヤンもミュンシュも音符の制約からは逃れられない」

と口火を切りますと

「君の好きなジャン・ルイ・バローもルイ・ジュヴェも

ラシーヌやジロドゥーをやらせたら同じ舞台を作るだろうか」

とやり返されます。

「芝居はセリフの制約をうけるけど

空間の処理も場面設定も演出家の力量に負うところが大きいのに比べて

音楽は、三連符は三連符として

ハ長調はハ長調として再現する必要があり…」

などとやろうものなら

「そこにこそ演奏家の個性が出る」

と切り崩されます。

こんなやり取りを

ほかの仲間や先生の奥さん

娘さんはにこにこして見ています。

やがて、わたしがへこまされることがわかっているからです。

 

とまあ、夜が更けるまで

毎夏のひととき10日くらいの間(学校を出てからも5~6年)

毎晩フェスタは続きました。

「芸術は長く、人生は短いArs longa, vita brevis」

みなさんも大いに勉強し

芸術をたのしみましょう!

そこからきっと生きるヒントが生まれてきますよ。